マスターからお客様へ

“マスターの思い”

人は誰も日常の仕事から解放され、或は孤独な生活から抜け出し、美味しいお酒を飲みながら、誰かと語り合う時間が欲しくなるときがあります。
バーはそんな人同士が出会い、語り合い、他人同士が新しい仲間となれる場所です。
「ハーバーライト」では見知らぬお客様同士が気軽に話し合い、知り合いになり、新しい人の輪を創ることが出来る場所を提供してゆきます。
同時に私自身も様々な人との出会いを通じて、私の第二の人生を楽しく有意義なものにしてゆきたいと思っています。
「ハーバーライト」が皆様に愛され、文化都市「国立」の安らぎのサロンとして、皆様から育まれる店になるよう努力して参りますので、何卒末永く御支援のほどお願い申し上げます。

マスターの経歴

私は「太平洋戦争の最中の昭和17年(1942)8月に、法務省官僚であった父が駐在していた満州国(日本占領下、現中国東北部)で生まれました。
昭和20年(1945)終戦と同時に法務省高官であった父がロシア(シベリア)に抑留され、母を病気で失い残った祖父母に連れられて、姉弟3人が命からがら父の郷里山梨県に引き揚げ、戦後の極貧のなかで幼少期を過ごしました。
昭和30年(1955)に父が10年に及ぶシベリア抑留生活から解放されて帰国し、神奈川県小田原市に職を得て幼い兄弟3人を迎えて新たな生活を始めました。
父は子供3人と会うことを唯一の希望に極寒のシベリア生活に耐え抜いたとのことです。
当時60万人を超えるといわれたシベリア抑留者(捕虜)の内、大半が飢えと寒さで亡くなり、生還したのは一割に満たなかったことを考えると父の運命の強さに驚かされます。

昭和41年(1966)3月大学(東京工業大学)卒業後、総合商社(丸紅)に入り猛烈サラリーマンなどと言われながら、戦後の崩壊した日本を甦らせ、世界に類のないほどの高度成長を達成した日本経済の歯車の歯の一つとして、がむしゃらに働いて参りました。

商社員時代、20年に及ぶ海外駐在生活(比国、マニラ6年、米国ニューヨーク6年半, 米国インディアナ州6年)を含め、北中南米、ヨーロッパ、アジアの40数ヶ国に出張し、それらの国の文化の体験や、そこに住む人達との公私にわたる交流は私の人生での大きな財産になっております。

1990年代に入り、高度成長の終焉となるバブル崩壊を公私ともに身をもって経験し、辛く厳しい体験も致しましたが、平成16年(2004)9月に62歳で定年となり、40年にわたる波乱の会社員生活に終止符を打ちました。

定年後は引き続き社会との接点を保ってゆきたいという気持ちから、「バーを経営するとともに、自らもバーテンダーとしてカウンターに立つ」という道を選び、渋谷の「日本バーテンダーズスクール」に通い、修了後平成17年(2005)4月に縁あって国立(くにたち)の地に「ジャズバー・ハーバーライト」を開業するに至りました。

バーには老若男女、多種多様の職業の人が集まり、政治、経済、スポーツ、社会問題など、いろいろな会話が飛び交い、社会の縮図がそこにあると言っても過言ではなく、バー経営は社会との接点を持ち続けたいという私の願いをかなえるには相応しい仕事です。

また、国立という土地柄から、お客様並びにお店のスタッフとして多くの優秀な学生に接する機会も多く、これら将来のある学生たちに私の人生経験を伝えることが出来、更には彼らが毎年社会に巣立ってゆくのを見届けることが出来るのもこの上ない喜びとなっており、今や私の生きがいでもあります。

最後に、第二の人生の船出に当たっては、その無謀さゆえに大反対をした妻が、一旦船出をしてからは、毎日お店に出て献身的に尽くしてくれていることを心より感謝していることを申し添えます。

≪平成25(2013)年2月記≫

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